熊本県テコンドー協会

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回想 〜くまもとのテコンドー〜

  • 熊本県テコンドー協会
  • 会長 樋口 悦夫

第5回全日本選手権に初参加!

昭和60年4月、日本テコンドー協会に加盟し、県内でのテコンドー普及を創めた年の6月、第5回全日本選手権大会が東京で開催され、熊本からも選手を出場させることにしました。しかし、まだ、競技に打ち込む選手も少ない上に、テコンドーの技術も、まだまだの状況の中でしたが、当時、硬式空手とテコンドーを習っていた、当時の南熊本支部長(現川尻支部)正木孝弘君に、出場を打診、私とともに、上京することとなりました。

大会前日、静岡の故・佐々木伯龍先生、愛知の故・篠田尚司先生とテコンドー談義で深夜まで盛り上がり、故人亡き今では良き思い出となっています。

いよいよ大会当日、選手は全国から約100名程度は出場していたかと思います。当時、全国では日本テコンドー協会に加盟している県は少なく十五県前後と記憶しています。

関東、東北、関西からの選手が多く、正木選手は、熊本、九州初の選手としてミドル、ヘビー合同級に出場、残念ながら初戦で愛知の福島選手に敗れ上位進出は出来ませんでしたが、県テコンドー協会史上、初の全日本出場選手となりました。私も、初のジャッジ(副審)を経験しましたが、当時は、現在の様に電光掲示板はなく、ジャッジペーパーでの判定でした。また、試合場も、ジョイントマットはなく、装備も胴プロテクター、腕、スネ当等はありましたが、ヘッドギアはありませんでした。

出場選手は、空手出身の選手がほとんどで、試合は実戦空手の試合かと思わせる様な試合も随分ありました。1985年当時、オリンピックの正式競技としては、まだ、決定{1994年、IOC総会にてシドニー五輪、正式競技決定}されてない状況下で、武田正博先生率いる福島、塩谷巌先生の神奈川、在日大韓協会のあった大阪等が、比較的に競技レベルが高く大会での上位を占めていました。

今の大会と比較すれば、正直、テコンドーの大会かと首をかしげるかもしれませんが、どんな競技にも歴史があって現在があります。その当時、テコンドーを普及しようと志した先生方、選手があり、現在があることを、今、私達は忘れてはならないと思います。

昨年、第5回全日本選手権大会の貴重な記録ビデオが奇跡的に見つかり、大喜びしました。正木選手の試合の様子、開会式の様子等、画質はかなり劣化していますが、県協会の貴重な宝物として保管しています。

昭和60年 初の全日本出場・正木孝弘選手の貴重な映像記録(短縮版)公開中!
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