熊本県テコンドー協会

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回想 〜くまもとのテコンドー〜

  • 熊本県テコンドー協会
  • 会長 樋口 悦夫

USテコンドー初体験

高校を卒業すると、福岡の東海大学へ進学したものの、授業にはまったくついて行けず、また、入部した空手部では、何かと問題も多かったため、結局半年で大学を止めて、東京の電機関係の専門学校(千代田電子学園)に入学することとなりました。東京では、念願の極真空手渋谷支部に入会、また、キックボクシングの極東ジムにも通い、強さへのあこがれは一段と増して行きました。

19歳の夏、千代田学園からロスアンジェルスの南カリフォルニア大学への短期留学の募集があり、友人や当時交際していた彼女(現在の妻)など総勢30名で渡米する事となりました。

ビバリーヒルズに近い、高級住宅地ウエストウッドに、千代田学園の寮があり、そこから大学へ通う毎日でしたが、その途中で「Jun Chon テコンドー道場・韓美館」の看板が目に入り、小学生の時に観たテレビのシーンを思い出し、早々に道場を訪ねることにしました。

道場は幹線道路沿い(ウイルシャーブルーバード)にあり、約40坪程度で日本の道場とは違い、カラフルで明るく、生徒も200名程度と大変多いのに驚きましたが、当時(1979年)すでにアメリカでは空手の道場とテコンドーの道場が半々で、マーシャルアーツ(武芸)が大変盛んな時期でした。特に、空手は突き技が多いのに対し、テコンドーは蹴り技が主体なので、その派手な動きが、当時のブルースりー等の映画のアクションシーンを連想させ、派手好き(?)なアメリカ人には受けいられた様でした。

1979年当時、日本国内では、まだ、正式なテコンドーの組織はなく、大阪を中心として在日韓国人で作る大韓協会日本支部があったと聞いていますが、普及はまだまの状況でした。

道場を訪ねると、私達(家内)を笑顔で迎え、親切にテコンドーのことを語ってくれましたが、何せ、本来英語は得意でないので、良く理解はできませんでしたが、数日後に短期でも大丈夫と言うことで、取り合えず、練習に参加することになりました。

インストラクターを務めてくれたのが、フィリップリー、サイモンリーの二人の在米韓国人で、年齢は私より2〜3歳上の中々のハンサムボーイで、後に映画「ベストオブザベスト」シリーズにも出演する、ハリウッドのアクションスターでした。

道場には、白人、黒人、東洋人など肌の色の違う生徒であふれ、皆、熱心に取り組んでいました。驚いたのは、女性も多く、すでに40歳位と思われる女性が気合を入れて足を上げている姿を見た時に、「格闘技イコール男性」ではないテコンドーの幅の広さを垣間見た瞬間でした。

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